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WHAT'S GUTAI?
具体とは?
野外具体美術展(芦屋公園、1956年7月27日〜8月5日)会場風景
左の空中に吊るされた作品:元永定正《水》、中央右:山崎つる子による作品(現在《赤》と呼ばれる)、手前地面の中央:喜谷繁暉《皿》、手前地面右の帯状作品:金山明《足跡》 *喜谷以外はいずれも部分 写真所蔵:大阪中之島美術館
野外具体美術展(芦屋公園、1956年7月27日〜8月5日)会場風景(夜) 左端の白い帯状作品:金山明《足跡》、その隣りの十字架状作品:田中敦子による作品、手前地面は元永定正《舟》 *いずれも部分 写真所蔵:大阪中之島美術館
具体美術協会(GUTAI)について
戦後日本の前衛美術運動の中でも、現在世界的に最も高く評価されているのが、「具体美術協会(GUTAI)」です。「具体美術協会(GUTAI)」の名称は「我々の精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という想いの表れでした。
「GUTAI」は、吉原治良(1905〜1972)をリーダーとして兵庫県芦屋市に1954年に発足し、継続的に活動をしましたが、72年の吉原の急死とともに、18年間の活動に終止符が打たれ、「GUTAI」は解散しました。 吉原の元に集まった阪神間の若者達は、「絶対に人のまねをするな」、「これまでになかったものを作れ」という吉原の教えを実践して、アクション・ペインティングやパフォーマンスを芸術として表現しました。「GUTAI」の若いメンバーたちは、半裸になって泥と格闘し足で絵を描いたり、紙破りのパフォーマンスをしたり、また大砲を使って絵を一瞬に描いたり、絵の具を瓶に詰め投げつけて作品として表現したり、電気服を着用し舞台に立つパフォーマンスなど、それまでにない奇想天外な方法でアートの実験を繰り返していきました。
世界的にも極めて独自性の高い表現は、作品の完成度というような出来上がった結果ではなく「行為の集積」であるという新しい価値観が生まれました。グループ結成翌年1955年から、機関誌「GUTAI」を継続的に発行しました。芦屋公園(通称松浜公園)にて、1955年に「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」また1956年には同じく松浜公園にて、「野外具体美術展」を開催し、1957年には大阪と東京で「舞台を使用する具体美術」を企画するなど盛んな活動が続けられました。
1962年には、大阪中之島に吉原治良所蔵の古い土蔵を改装した「グタイピナコテカ」※1が開設されました。そこを「GUTAI」の活動の拠点として、メンバーの個展を矢継ぎ早に開催してくようになりました。
そして、「GUTAI」はフランスの美術評論家ミッシェル・タピエが1957年に来日し、提唱していたアンフォルメル絵画理論に組み込まれることで海外において評価されるようになり、世界的に認識されることになりました。
更に近年、欧米で「GUTAI」の再評価が高まり、2013年ニューヨークのグッゲンハイム美術館の「GUTAI : 素晴らしい遊び場」展では、約25万人の観客動員数があり同美術館でも記録的な数字となり、ますます海外からの注目を浴びています。
※1:現在の三井ガーデンホテル大阪プレミア
野外具体美術展(芦屋公園、1956年7月27日〜8月5日)会場風景
左端の白い筒状作品:村上三郎《空》、その隣りの赤い作品2点:山崎つる子による作品(現在《三面鏡ではない》、《赤》と呼ばれる)、右端の人型作品:田中敦子《舞台服》 *いずれも部分 写真所蔵:大阪中之島美術館
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